読書 インプット道場

命のカウンセリング 長谷川泰三

2019年7月22日

命のカウンセリング 長谷川泰三

24時間テレビで二宮君が主演したドラマ

2012年の24時間テレビで嵐の二宮君が主演したドラマ「車イスで僕は空を飛ぶ」になにか心惹かれるものがあり、ドラマ自体は大変な鬱展開であったにもかかわらず翌朝の本人登場のために目覚まし時計をセットし、本人の言葉と姿を目に焼き付けました。

ドラマはドラマ。原作は本人の人生です。

原作に触れたいと思わせる、本人登場のシーンでした。やさぐれた二宮君の演技とはまるで印象の違う、謙虚で誠実な人柄に見えました。

ドラマの脚本は朝ドラ「てっぱん」の寺田敏雄さん。

「車イスで僕は空を飛ぶ」と原作

ドラマ「車イスで僕は空を飛ぶ」は、鬱の人が見れば、どんどん鬱になっていく発展解消のない悶々とした状況の連続で、シンパシーで涙が誘われはしたが私の心はまったく救われませんでした。

しかし原作は全然違いました。

ドラマでは到底書きあらわせない厳しすぎる現実がそこには記されていたし、あまりにも劇的な迫真に迫るカウンセリングの描写に、度肝を抜かれます。

魂の込められた文章に心が動かされる。まさに救いの手をさしのべんとする、渾身の一書なのです。

”逆境人生”が人を救う

著者は自身が何度も自殺を考え、時には実行に移したこともある人生の苦い汁をすすってきた苦労人です。

生まれついて逆境にあり、逆境の中で育って、自ら逆境の世界に飛び込んで絶望し、人生をあきらめかけた。

その上、自分の周りでは「死」がいつも付きまといます。

相次ぐ友人や身近な人の自殺。残された者の罪悪感を背負い、自身を疫病神と感じるようになる。

猛烈な破壊衝動から自分で自分の人生を崩壊させ自殺へ一歩踏み出した時、運命の歯車が大きく動き出します。

ある出会いが自殺へ踏み出した一歩を逆転させる。足の自由を失い、迷惑をかけるだけの人間から、人の命を助ける人生への転換点。それこそがグループカウンセリングという、互いの痛みを分かち合う一発限りの真剣勝負の舞台への登壇でした。

マイナスの体験が同じ境遇の人を助ける才能に変化する。その瞬間を体験したのです。

「助けて」は恥ずかしくない

グループカウンセリングでは、心にわだかまっている本音を表に出すために、本当に伝えたかった人の代役を立ててその人に言えなかった思いを口にします。

代役はその本人になり代わって受け答えします。

口にしないと決めた言葉は、そうやすやすとは話すことができない。しかし一歩踏み出そうとする時、熱烈な応援、救いの手をさしのべられる。さしのべられた手が暖かく本音を揺すぶりだしてくれる。

思いのたけを心のままに口にすることは、大人になればほぼその機会は失われてしまいます。

自分の感情を抑えることができない人は利己的であると判断され、うまく感情をコントロールできる人が大人として一人前であるとされる世の中です。

本当の最後の最後まで、自分の利己を抑えて他人に迷惑をかけまいと自死していく人たちがいる。

「助けて」の一言が言いにくい。それを言うことがルール違反であるかのような風潮。著者はそこに鋭いメスを突き刺す。

「助けて」と救いを求めて何が悪いのか、「ありがとう」の一言を多くの人が待っているのに、と。

あなたの辛い体験が誰かの役に立つ

著者は車椅子でどこにでも出かけていく。

そしてわざと救いの手を求めてみる。「ちょっと助けてください。車椅子を押してください」と。

すると多くの人が喜んで手を貸します。

そして「ありがとう」のお礼一つを満面の笑みで受け取ってくれるという。

決して「すみません」でも「ごめんなさい」でもなく「ありがとう」なのです。

著者は叫ぶ。身近な人が何らかの理由で死んだとき、罪悪感を感じてはいけない。辛ければ、辛いと助けを求め、去っていった人には謝るのではなく今までありがとうと感謝を述べよう。自身の悲哀と感傷に溺れているだけでは、周りにいる人や去っていった人の気持ちは見えてこない。悲しみの連鎖を断ち切って、人の助けを借りてでも自分の足で立ち上がるのだ、と。

人は一人では生きられない。どうせ一人では生きられないのだから、助けを求めたって人生は終わらない。

むしろその「死ぬほどつらい体験」は必ず誰かの役に立つ。

生きてその役目を果たすのです。

彼は自分自身をそう鼓舞して、今も面談や電話で「死」を見つめる人たちを罪悪感の泥沼から救い上げているのです。


 

\みんなに紹介してね/
この記事のタイトルとURLをコピーする
created by Takoyan

-読書, インプット道場
-, ,

© 2020 ゴリアスの副業道場