MONSTERの一気読みでしか見えてこないこと
モンスターを全巻一気読みしました。
一気読みすることで新しい発見があるし、何度読んでも面白いものは面白い。
そして、今回は今までと違う感想を一つ得ることができました。
それは、人を愛する事が人として生まれた目的なのかもしれないということ。
今まで思わなかった事を思ったのは、もちろん作品が変化したからではありません。
私が変わってしまったのです。
前回一気読みを敢行したときは、結婚はしていたが、まだ子供はいませんでした。
挫折を感じたことはありましたが、本当の意味での”苦労”を知りませんでした。
孤独は理解していましたが、親が子にかける愛情はまだ理解していませんでした。
かつては、残酷で猟奇的な表現や、戦慄をあおる演出、離別を劇的に取り上げる描写、そういう作者の天才的センスに打ちのめされて、目の前にぶら下げられた「面白さ」先行の読み方しかできませんでした。
いや、それが正しい楽しみ方だと思うわけですけど、もうそう言う部分は何度も読んで充分に楽しみつくしましたからね。
MONSTER 人は愛なしには人でいられない
心を打たれるのは、人が自分や自分の身内以外の事や人の為に、命をかけるというその「想い」。
大概はひどい結果にならないで欲しいという思う方向にストーリーは展開して、見たくないものを見ちゃうわけですけど。
その逆に、モンスターはなぜ生まれたかを考えるに、愛情を断たれたが故の孤独と絶望が、人の生命を軽んずる思考に繋がっていったのではないかと思いました。
つまり、人が人として生きる上で、ふんだんに愛情を受けること、また今度は自分が愛情を注ぐ相手を見つけること、この二つが不可欠なのではないだろうかと。
「なにを今さら」と言わないでください。
今さらにしてそれを感じた、ということが大事じゃないでしょうか。
MONSTER 巨大連鎖も「1れんさ」から
一人の人が全ての人に愛情を注ぐことはできません。
愛に漏れる人を出さないために、隣人を愛せよ、とはやはり名言なのでしょう。
それは身近な人に関心を持つということです。
身近とは血縁以外にも、住んでいる地域にも、所属している何らかの組織や団体にもあるでしょう。
人と人がちゃんと繋がっていることが大事なのです。
人は他人から接せられたようにしか人に接する事ができない。
受けた愛情は必ず人から人へ伝わるはずなのです。
右の頬を打たれたら、左の頬をさしだすのです。
あくまで隣人を愛しきったとき、自分の身の回りに安穏が訪れる。
残酷な悪魔にも優しき天使にもなれる「人間」なのだから、人の良いほうばかりを表に出てくるように振舞えば、自分は守られる。
それが、身を守るすべでもあり、自分の幸せを願う技であり、世界を平和にする方法なのかもしれません。
その連鎖が、地域を変え、職場を変え、国を変えていくかもしれない。
たった一枚の影響力でその反対勢力の大半をひっくりかえせるオセロのような単純で簡単な話ではないけれど、ぷよぷよで相手に大量のおじゃまぷよを送りつけることのできる超巨大連鎖も、まずは最初の「1れんさ」から。
名作「モンスター」を読んで、ぷよぷよのおじゃまぷよのことを思う馬鹿な私。
これが「僕の中のモンスター」なのね。