殺戮にいたる病の究極の崩壊感
読後感に世界が崩壊するような戦慄と驚愕を覚える、恐らく私のこれまでの読書人生でもっとも衝撃的な作品が「殺戮にいたる病」です。
私がこの本を初めて読んだ時の非常に短い読書感想文が手元に残っています。
それは私の高校時代の恩師が生徒たちに強制して書かせていたもので、私がなぜか返却されたものを後生大事にとっていたために現存するものです。
短いので全文ママでご紹介しましょう。
『書店で手にとって思わず買ってしまった本。3日ぐらいで読んだが、余韻は一週間は続いた。女性には向かない本だと思うが、活字慣れしている人間には全員読んで欲しい。とにかく面白い。そしてとてつもなくコワイ。でもホラーじゃなくて、いわゆる普通の推理小説でもない。気になるのは、少し特殊な題材なので、途中で読むのをやめないで欲しいということ。全部最後の一行まで読んで初めてすべての意味がわかる仕掛けがあるのだから。必読』
まずは恩師に感謝を言わねばなりませんね。
このような文章が時を越えて出てきて、またこのような形で公開されようなど、なかなか想像できないことです。
コワモテで色のついた眼鏡をかけ、竹刀を片手に教室に入ってくる、漫画に出てくるような昭和な現国教師でした。
そんなのが本当に実在し、現在も教鞭をとっておられるのだから凄い。
大好き、我孫子武丸と殺戮にいたる病
それはともかく、我孫子武丸の話をしましょう。
この名前でピンと来る人間は、本格推理通であるか、ゲーム好きのどちらかではないでしょうか。
1990年代に空前のサウンドノベルブームを巻き起こした歴史的ヒット作「かまいたちの夜」のシナリオ原作者で、そのポップな語り口で多くのファンを作り上げた超有名作家です。
コミカルタッチで人気の「8の殺人」などの速水三兄弟シリーズや、女性視点で物腰の柔らかい「人形はこたつで推理する」シリーズなど、その文章の気持ちよさ、読みやすさに定評があり、本筋は一般的にはちょっととっつきにくい『本格推理』でありながら、コアなミステリファン以外の読者層にも広く受け入れられています。
その我孫子武丸です。
その人が、あのような毒々しい筆致で、殺人の細やかな描写を編み上げ、文章の隅々にまである種の悪意を敷き詰めた、こんな小説を書くとは、当時の私には意外で仕方ありませんでした。
コンプレックスや歪んだ性倒錯なども題材に取りいれ、全編に異常性が充満し、凄烈な結末に猛スピードで突き進む緊迫感、そして狂気。
正直、「こんな作家だったのか!」という驚きがありました。
殺戮にいたる病のルールは二つ。最後まで読む。検索しない。
しかし、そんな驚きなどは、読後にはとるに足らないことでした。
感想文に「3日ぐらいで読んだが、余韻は一週間は続いた」とあります。
余韻の正体は「呆然」。
読み終えた後、しばらく何もできない、何も考えられないという状態になったのでした。
幼い私の脳は驚愕の結末に、大変な混乱に陥ったのです。
もちろん、それは作者が意図して用意周到に計画した作用によるもの。
やがて呆然から意識を取り戻したときに、もう一度はじめから読み直して、ようやく「えらいこっちゃ!」と色んなことに気づいたのです。
ところで、もしこの本に初めて触れるとするならば、どうしても伝えておかねばならない注意事項があります。
この小説には探偵役となる元刑事が出てくるが、彼はいわゆる名探偵ではなく、最後の数行を残し自ずと露見するまで真相は誰にもわからない展開となっています。
だから読者に求められているのは、真相にいち早く気づいた名探偵との推理勝負ではありません。
どんなに恐ろしくても「目を背けたくなる現実から目をそらさない」というのが読者に科せられた命題です。
つまり、頭から「これは推理小説だ」と思って読むのはやめて、とにかく最後までページをめくる手をとめないことです。
そのポジションを動かぬ限り、貴方にもガラガラと世界が音を立てて崩れるような戦慄と驚愕が訪れるに違いありません。
そして、ここにたどり着いている時点で、もう無理な話かもしれませんが、この本についてネットで検索することをやめましょう。
読む前にその行為をすることで得することはなにもありません。
ぜひ、本書をあなたの読書体験の1ページに!