星新一といえばショートショート
あの星新一が書いた伝記「人民は弱し 官吏は強し」に深い感銘を受けました。
星新一と言えばSF畑からショートショートの種を育て原野を開拓した第一人者であり、その人間愛に根差した示唆に富む寓話的作風に没後の現在であってもかなりファンは多い。
何を隠そう、私自身が星新一の大ファンですし、また星新一は私にとって大きな影響を受けた作家の代表格なのです。
中学生のころに、作家になるための文章の修行に300編ものショートショートを書いたのも、星新一という巨星を知っていたからなのです。
そして私の知っている星新一とはショートショートの名手である、ということだけでした。
若かりし私はあれほど多く作品を読んでも、星新一個人を知りたくなったりはしなかったのです。
星新一が書いた父親の伝記
星新一を目指しはしても、星新一と自分を重ねたりはせず、あの作風を生み出す文学的背景にも関心が向いていませんでした。
その意味では、ただの読者側から一歩踏み出していたとはいえ、「まね」をしようとするにはあまりに研究不足と言わざるを得ませんね。
実際に私が書いたショートショートには、深みも示唆も寓話的要素もなく、とるに足らないワンアイデアだけで書かれた、要するにつまらないものでした。
心に残る残響音の様な仕掛けを作ろうとも思わなかったし、よしんば取り組んでみたところでまあまず力不足だったのです。
ショートショートを買って読むことがなくなったのは、恐らく高校ぐらいからだったでしょうか。
星新一以外の掌編小説を書く作家の文庫本も書棚に揃ってきていたし、私の文章修業もすでに次の段階に進めていたしで、あれからずいぶん星新一から遠ざかっていました。
人から直接勧められた本は、できればとりあえず読んでおこうと考える私ですが、この本を勧められた時は「是非とも今すぐ読みたい」と焦燥感に駆られ、奪うように借りてきてしまいました。
だって星新一なんだもの。
そしてあの星新一が父である星一(ほしはじめ)の半生を描いた伝記なのです。読みたいに決まっている。
ゆがんだことを頑なに受け入れない
星一は、第2次大戦前の日本における屈指の製薬会社の創業者であり、アメリカ仕込みの洗練されたスマートな経営感覚で製薬業界の発展に大いに寄与した大人物です。
しかし、偉大な人物が全て正当な評価をされるわけではありません。星新一によると、星一もまさにその一人でした。
彼が歴史の教科書に登場しない理由は「人民は弱し 官吏は強し」という印象的な題名に込められています。
出る杭は打たれるという世の中です。先進的でやたらと目立ち、そして「お上」におもねる事を知らない清廉潔白な人間を希有な人材とみる人間がいる一方で、邪魔に感じる人間がいる。
製薬業界の同業他社であり、監督官庁であり、星と親しくしている政治家の政敵のことです。
同業他社の金と政治権力が結びつき、官僚や警察権力などが連動して、星を没落へと押し流していく。
勝者の歴史の中に敗者の実績は記録されないのが常。
星新一がこの本で淡々と、また朴訥と書き連ねた事の全てが真実であると証明する事は出来ないかもしれませんが、真正面から反論するものもいないといいます。
しかし、権力のやり口というのは今も昔もあいかわらずであり、星一の時代も、もっと昔も、そして現在にいたるまで、このような事態は起こりうるであろうと思えるのです。
また、まるでショートショートを語るかのような飾り気のない筆致が、そう思えるに足る説得力に満ちているのです。
正しいことをしようとして、足を引っ張られ、利用しようとする輩や権力者によって陥れられるストーリーですが、星一の前向きで常にモチベーションが高く太くまっすぐな精神構造は、読んでいるだけで大変にすがすがしい。自分の信じる正義にまっしぐらであり、頑なにゆがんだ事を受け入れないのです。とても立派。
純真な正義は不幸を招くのか
ところが星一は志も虚しく後に没落し、大成を果たさぬままこの世を去り、倒産寸前の会社を受け継いだ息子である星新一に途端の苦しみを味あわせたうえ、結局会社の存続は行き詰まり他社に引き受けてもらわなければならなくなってしまいます。
こうした結果から逆算すれば、純真な正義は突き詰めると不幸を招くと言う結論にいたってしまいます。
例え卑しくても勝てば官軍なのでしょうか。
正義は賢くなければ、悪に負けてしまうことがある。負ければ、悪のいいなりです。悪しき構造を許せないと憤ってみたところで「結果として不幸」なら、勝負は負け。私はそう感じたのでした。
人の為、国家の為に奔走する星一の「私」を顧みない本当の忙しさに比べれば、私の感じる忙しさなんてモノの数には入るまい。
どんな理不尽な境遇にあっても、めげずに胸を張り前を向いて悠々と闊歩できる星一の偉大さに触発を受けて、忙しいと感じながら今日もペンをとってみた私です。