タイトル:死のうと思った。
女声1 15分程度
現代劇
これはとても怖い話だけど、今日、ほんとに、なんとなく死にたくなった。
何気なく、ただ、「ああ、死んでしまおうか」なんて考えた。ほんとに突然ふとそんな気がした。友達の家のマンションで、扉を開けると曇り空が見えて、無意識に柵にもたれかかって下を見ていたら、ああ五階からなら、あそこに足がちょこっと当たって、激しくはねて、少し頭のほうに重心が傾きながら、時間がゆっくり流れるように感じたりして、それで背中から落ちて首とか肩とか砕けちゃうほど打って、それでたくさん血を吐いて、もうきっとダメなんだろうなぁとか考えてしまった。我ながら綺麗な死に様じゃないわ。
でも、なぜかしら。すごく生きていることが虚しくなってきた。
別に誰の為に、何のために生きている自分ではないと思う。そしたら、ここで、急に死んじゃうのも悪くないかって、変な感じ。少し生暖かい風が足元を通ってスカートをはためかす。あぁ、今日はズボンにしときゃよかったなと思って、死ねなくなったとたん、さっきまでの考えに急にぞっとした。
失いたくないものってあると思う。
でもそれが、よくわかんなかったり、手元になかったりしたらそれってやる気でないじゃん。無気力。もういいや。別に何にも執着なんてないよ。ただ当たり前の毎日。嬉しさも、楽しさも、演技にしか過ぎない。本当のヨロコビってなによ。こんなんで、どうして無理に痛いことやツライことを我慢するんだろう。そこに何が待っているんだろう。
もう、このへんでいいかって、本当にただなんとなくそう思った。
ワタシは大切なお友達を亡くした。まだ死んではいないけど、もうほとんどこの世の人ではなくなった。その人がいなければ、ワタシは今こうしてこんな風に生きていることもなかったんだなと思う。
ワタシの大切な一部だった。
でもその人はあっさりワタシの知らぬ間に事故にあって植物になった。見に行ったら、もうその人ではなかった。もうダメなんだなって感想だった。
ずっと、下を見てた。やっぱり五階は高い。時折、友達の部屋からワタシを呼ぶ声があったが、あの娘達の中に入ることは、今のワタシの心にはしんど過ぎた。呑み過ぎたみたいだから酔いを覚ますの、と言ってワタシは一人部屋を出たのだ。
ワタシは大切な人を一人失った。そして、ワタシを呼ぶ彼女達もまた、その共通の友達を失ったのだった。
あんなことがあって、初めて集まって、昔みたいにまた騒ごうよと言い合った。でもやっぱりワタシ達の心には、何かが欠けていて、どんな話題も、どんな行動も、その人を連想しないわけにはいかなかった。そこでワタシはあえてその人の話題ばかりを選んで話した。話しているうちに、程なくいたたまれなくなって、ワタシは結局自分からその場を逃げ出してしまった。ワタシは「友達の家のマンションの扉の向こう」で、夜風に当たりながら、もうこの娘たちと集まることはないだろうと、どこかそんな気持ちでいた。
ワタシは大切な人を失った。
そして、もう一人。もっと偉大で大切な人をなくそうとしていた。今にもその人の灯火は厳しい宣告を受けようとしている。
ワタシの父は昨年、ガンであることがわかった。その時言い渡された余命は、つい先週尽きてしまった。実際、父は何時死んでもおかしくなかった。今日にも、明日にも、と言う話を何度も耳にした。そして、なのに今、ワタシはここでこうしてのうのうとしている。ここに来て、なんだかみんなと会って、知らず知らずのうちに誰かに安らぐ場所を求めていたようだ。ところが、そんなものはここにはなかった。ワタシの唯一の親友だったあの人は、もうここに来ることもできない。笑いあうこともできない。ああ、またワタシはただ単に、不意に大切な人を失うんだ。ワタシにはどうすることもできないんだ。
親友が事故に遭ったとき、ああ、もう今後の人生なんて考え付かない、そう思った。だけどワタシは、今もこうして生きている。意外と人間は心のよりどころが一時的に消滅しても、柔軟に対応できる都合のいい生き物なのだ。頭ではそう思った。確かにワタシも今もこうして生きている。でも生きているのに、大切な部分に穴はぽっかりとあいたままだった。人間が強くなると言うことは、開いてしまった穴がふさがることなんかじゃない。その穴を自分の財産として、幾つも幾つも抱えていられることだ。そしてそれは並大抵のことではない。現にワタシには、まだまだ強くなんてなれっこないのだ。
一人の人間がいなくなることは、
こんなに大変なことなのか。
たった一人の人が存在しないだけで、
ワタシの心は、人生はこんなにも、
ワタシの虚しさも、悲しさも、
ワタシの涙も、笑いも、
ああ、たった一人の人間が、
こんなにも空虚を、空白を、
無力感も、脱力感も、
ああ、生きている意味さえも!
今、ワタシはもう一人の大切な人を、
偉大な人を失おうとしている。
でもワタシは、もしかしたら失うかもしれない、
ただ普通にそう思っていた。かつてはただそう思っていた。
失ってしまったとして、どこまでの影響があるのかワタシにはまるで想像がつかなかった。果たして、どれだけ悲しいのか。ワタシはどれだけ涙を流すのか。まるで実感がなかった。
もしかしたらそれは、ほとんどワタシの生きていく上でたいした動揺を与えないかもしれない。もしかしたらそれは、ほとんどワタシに悲しみを与えないかもしれない。
父のガンを知ったときは、それは悲しかった。そんなバカなと耳を疑った。でもそれはワタシの中で現実味を失った感情だ。やっぱりこんなことって信じられないんだ。ワタシはどこかで、まさかお父さんが死ぬわけないとたかをくくっていたのだろう。その恐ろしさの内容も知らずに、そんなことは起こらないと。
しかし、思わぬところで先に親友がやってしまった。突然いやおうなしに叩きつけられた現実。人はちょっとしたことでも死んでしまう。もう二度とは元に戻らない。ほかの誰もが、そしてこのワタシもいつかは死んでしまう。そんな当たり前の大ショック。
一人の人を失うことが、
これほどまでに、とてつもなく大きなものを失うことだなんて。
悲しくて、悲しくて、
ことあるごとに言動を思い浮かべ、
ああ、あの人がここにいればね、
そんな話に自分の人生の大半をどこかに置き忘れてしまったような、
やるせなくて、せつなくて、
もう取り返しがつかないのがわかっているからこそ、あきらめがつかない。気持ちの悪い矛盾。悔やんでも。悔やみきれない。
ワタシは一人、大切な人を今にも失おうとしている。この今、この時にも父は苦しみと戦っているんだ。そして本人こそ、人の生き死にについて一番目を背けたくて、一番見つめあってるに違いない。
人は必ず死んじゃうのだ。今助かっても、何時でも死はそこにいる。それはなにもお父さんに限ったことじゃなくて、生きているもの全部だ。残されるものにはどうすることもできない。自分は自分で強くなるしかない。なんて悔しいことだろう。
やだ。こんな思いなんてもうしたくないよ。こんなに、つらくて悲しくて、寂しい話なんかないよ。
誰かが一人の人を失う。これは本当に恐ろしい話なんだ。
ただ、なんとなく、急に誰かがいなくなるなんて、こんな迷惑で腹立たしいことはない。虚しいし、悲しいし、せつなすぎる。
あら、そういえば、ワタシったらこんなにも残酷なことをワタシの親しい人たちに押し付けようとしていたのかしら。
高い高い五階から、下をじっと見ていたら、だんだん笑えてきた。で、なんだか笑っちゃった。
ワタシは一人で思う存分笑って、とってもハイな気分になってから、みんなの待つ部屋へと戻った。自殺でもしそうな顔だったと言って、みんなは心配そうにワタシのことを待っていたが、ワタシが思いのほか楽しそうに帰ってきたので拍子抜けして、またみんなで笑った。やっとみんなで心のそこから笑えたような気がした。
強くなるにはまだ少し時間がかかりそうだが、ワタシは失ってしまった人たちのことを、生涯絶対に忘れることはないだろう。